仏事の豆知識

焼香 焼香っていつするの?どうしてするの? まず焼香と言えば、お葬式などの弔いごとを思い浮かべますが、普段お仏壇を拝む時、お寺を参拝した時などに立てるお線香と同じで、別にそういった慶弔の「弔」の時にだけするものではありません。 灯明(蝋燭)とともに、焼香(線香)は仏様に対してのお供え物であると同時に、焼香の煙は身を清めるために炊きます。また経典にはそのたゆまず一定の速度で燃え続けるさまを、精進をあらわすとあります。 私たちも、常日頃から精進と言う言葉を胸に物事に取り組みたいものです。
念珠の扱い方 昨今では念珠も様々な材質、種類のものが出てきましたが、本来は真言などの数をとるための仏具だったという説もあります。片側を往復して108(本連と呼ばれる念珠の場合)と言う数は人間の煩悩の数を表していると言われています。その他の母珠(両端の大きな珠)や記子(4本の房につく珠)などにも各々意味がありますがここでは触れません。念珠をするときは、房の根元に小さな珠がついたほうを右手の中指にかけ、反対側を左手の人差し指にかけ、房は全て掌の中に入れます。両手を合わせるとき、少し右に傾けて(右手が下)、右手をまず手前、次に奥、最後に手前と動かし摺り合わせます。手を合わせるときは、左手に一匝にしてかけ、持つ時は二匝にして持ち、置く時は三匝にして置きます。ただし、念珠の種類や、宗派によっては取り扱いに違いがありこの限りではありませんのでご留意を。
お彼岸の由来 お彼岸にはお墓参りをするのが慣習となっていますがその由来は諸説あるのですが、今回は僕が教わったものを紹介させていただきたいと思います。 昔(今もそうかも知れませんが)は太陽に特別な信仰が集まっていたことがあったようです。現在のいわゆるお彼岸の中日と呼ばれる日は、年に2回。3月20日(春分の日)と9月20日(秋分の日)です。実はこの二日間は昼と夜の長さが同じ、つまり太陽がちょうど真東から真西へ動く日なのです。 また、農耕民族である日本人にとってお彼岸と言う日は季節の変わり目と言う意味でもとても大切な日とされてきました。その日には実り豊かな一年になることを太陽にお祈りすると同時に、先祖に安らかな日々を送れるように祈ったようでもあります。 さらに、この真西と言う方角について。ご存知かとは思いますが、阿弥陀如来様の浄土は西の海の果てにあると言われています。この日に沈み行く太陽に向かい念仏すれば必ずや極楽浄土に行けるとも信じられてきました。 以上のような民間信仰が混ざり合って、現在お彼岸にお墓参りをするという習慣が残っているのではと考えられています。

正覚院に咲く花

学名 Prunus × yedoensis(染井吉野)
      Prunus lannesiana var. speciosa (大島桜)
      Prunus jamasakura (山桜)

【薔薇(ばら)科 サクラ属】

Prunus : サクラ属
yedoensis : 江戸の
lannesiana : 園芸家「ラネス」さんの
speciosa : 美しい,華やかな
jamasakura : ヤマザクラ(日本名)
Prunus(プラナス)は、ラテン古名の「plum(すもも)」が語源。
英語では、桜の木は「Japanese cherry」、桜の花は「Cherry blossom(チェリーブラッサム)」。

開花時期は、 4/ 1頃~ 4/10頃(染井吉野)。
日本原産。
気象庁が3月に、全国の桜の開花前線予想を発表する。1日の平均気温がだいたい10度を越えたら”開花”。 (最高気温が14度、最低気温が6度くらいかな) 実際の開花宣言は各地の標本木の咲きぐあいをもとになされる。花の見頃は開花宣言から1週間ぐらいあと。
”花見”といえば桜。いろいろ種類があるが染井吉野(そめいよしの)がもっとも有名。染井吉野はうすピンク色。白花でよく見かけるのは大島桜(おおしまざくら)。
桜の霊である「木之花咲耶姫(このはなさくやひめ)」が最初の桜のタネを富士山からまいたといわれ、「さくやひめ」の名前から「さくら」になったらしい。なお、「木之花」は「此花」と書かれることもある。此花咲耶姫 → ”この花(桜)のように美しい姫”。この名前は「古事記」に出てくる。
染井吉野は江戸時代に、江戸駒込の染井村から植栽が始められた。初めは見事な桜の代名詞として「吉野桜」と呼ばれたが、誕生地の「染井」の名を加えて「染井吉野」になった。
幹のところに横向きの線が入っているのが桜の特徴。
秋には早めに落葉する。楓(かえで)が紅葉する頃には葉が残っていないことが多い。
日本の国花はこの桜(厳密には山桜)と菊の2つ。

なんで桜は一番人気があるんでしょうか。
「大木になる」→ 木自体が目立つ
「花が木いっぱいに一斉に咲く」 → 鮮やか
「花は葉が出る前に咲く」 → 花が目立つ
「すぐ散る(開花時期が短い)」 → 日本人好み
「節目の季節に咲く」 → 卒業、入学、入社など、いろいろな節目の重なる時期にいっぱい咲くので印象に残りやすい
「うすピンク色(染井吉野)」 → 見ているとほのぼのとした気分になれる
「咲く前から待ち構える雰囲気がある」→ ”いよいよ桜シーズン!”といううたい文句でいろいろPRされるので開花日が待ち遠しくなる。
こういった要素が桜にはそろってるからかな?(これだけの条件がそろってる花は、他にはないですね)

大島桜(白っぽい桜)の葉っぱは「桜餅(さくらもち)」に使われる。若葉を塩漬けにしてクマリンの香りを引き出すことで、独特の香りと塩味が出る(防腐剤の役目もある)。葉っぱであんこのお餅を包みます。 サクランボは染井吉野などではならず、西洋桜などにしかならない。 → さくらんぼ
ふつうの桜にも5月頃赤い実がなるが、さくらんぼより小さくて固い。 → 桜の実
山桜は、花が咲くのと葉が出てくるのがほぼ同時。(ほかは、だいたい花が先ですね)
「桜」の旧字は「櫻」です。
3月8日の誕生花(桜)
花言葉は「優れた美人」(桜)
東京都の花(染井吉野)
山梨県の県花(富士桜)

「あしひきの 山桜花 日(け)並べてかく咲きたらば いと恋ひめやも」 山部赤人(やまべのあかひと) 万葉集

「花の色は 移りにけりないたづらに我が身世にふる ながめせし間に」小野小町(おののこまち)古今集 百人一首(09)

「もろともに あはれと思へ 山桜花よりほかに 知る人もなし」 前大僧正行尊 金葉集 百人一首(66)(さきのだいそうじょうぎょうそん)

「高砂の 尾上(おのえ)の桜 咲きにけり外山(とやま)の霞 立たずもあらなむ」 権中納言匡房 後拾遺集 百人一首(73)(ごんちゅうなごんまさふさ)

「おしなべて 花の盛に なりにけり山のはごとに かかる白雲」 山家集 西行

「願はくは 花の下にて 春死なむそのきさらぎの 望月のころ」 西行

「ほのぼのと 花の横雲 明けそめて桜に白む 三吉野の山」 玉葉集 西園寺入道

「世の中に たえてさくらの なかりせば春の心は のどけからまし」 在原業平

「花の雲 鐘は上野か 浅草か」 松尾芭蕉

「しき嶋の やまとごころを 人とはば朝日ににほふ 山ざくら花」 本居宣長

「桜咲く 前より紅気 立ちこめて」 山口誓子

季節の花300HPより

菩提樹

学名 Tilia miqueliana
     【科の木(しなのき)科 シナノキ属】

Tilia : シナノキ属
miqueliana : オランダの分類学者 「ミケル」さんの
Tilia(ティリア)は、ラテン語の「ptilon(翼)」が語源。葉と花のつき具合の形から。

中国原産。
初夏の頃、小さく黄色っぽい、目立たない花が咲く。
花房の元の部分の苞(ほう)と呼ばれる部分はシナノキによく似ている。

釈迦(しゃか)がその下で「悟りを開いた」と いうことで知られ、
その由来から、寺院の庭園などによく植えられる。
しかし、釈迦が実際に悟りを開いたのは桑科で熱帯樹の「インド菩提樹」の下。
今の「菩提樹」とは違う。なぜ間違って伝えられたのか?

              ↓
今から800年以上も前に、仏教の禅宗を広めた僧侶の栄西さんが中国の天台山に行き、
そこに植えられていた菩提樹を、葉の形がインド菩提樹に似ていることから
本物のインド菩提樹だと思って日本に持ち帰って「これは菩提樹♪」
としていろんなお寺に植えたという説がある。
(ちなみに、釈迦が亡くなったのは 「沙羅双樹(さらそうじゅ)」の木の下)→ 夏椿

■整理
○ 釈迦が悟りを開いた → インド菩提樹
○ インド菩提樹に間違われたのは → 菩提樹
○ 釈迦が亡くなったのは → 沙羅双樹(さらそうじゅ)
○ 沙羅双樹に間違われたのは → 夏椿

正覺院の菩提樹は・・・

平成元年に住職素弘がスリランカ国キャンディー市の「仏歯寺」よりいただいた菩提樹。長年成長を続け、今では住まいの屋上を越す高さになりました。しかし、長い間楽しみにしていた花は一向に咲きませんでした。それがついに!根元に実生の芽が出ているところを見ると、ここ数年で咲いていたのかも知れませんが、2007年ようやく確認しました!菩提樹の実は数珠玉等に用いられます。今から皆楽しみにしています。

季節の花300HPより